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1954年版『ゴジラ』感想と考察(※先行研究の引用多め)

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 はじめに

ゴジラ』は、1954年に公開された日本初の本格怪獣映画です。

プロデューサー・田中友幸、監督・本多猪四郎、特技(特撮)担当・円谷英二らが中心となり制作し邦画初の全米公開映画となったことからも、日本映画の歴史を語る上では外せない映画と言えます。

 

自分はかねてより庵野秀明のファンでしたので、「ゴジラ」や「特撮」については多少知識がありましたが、実際にゴジラシリーズを初めて観たのは2016年に公開された『シン・ゴジラ』でした。

そこからゴジラシリーズの世界にはまってしまい、今に至るわけですが(いつか『シン・ゴジラ』についての記事も書きたいと思っています)こんなに面白く奥深い作品のシリーズ第1作は一体どんなものなのかと思い、当時大学2年生だった自分はTSUTAYAでDVDを探しました。

 

DVDを手に取り思いました。「白黒映画か・・」

もともと、読書とは違い自分のペースでの鑑賞が難しい「映画」があまり得意ではありませんでした。また、天候や土地など一つの事象が気になるとそれについて色々と思いを巡らせてしまい、気づいたら全然違う場面になっていた、なんてことは今でもよくあります。

ただでさえ映画鑑賞が不得手なのに、白黒映画なんて最後まで理解して見通せるのだろうか・・と思いながら鑑賞し始めましたが、それは杞憂でした。

第二次世界大戦の記憶が色濃く残る1954年に、「ゴジラ」という架空の怪獣を媒介してはいるものの、あそこまで直接的に日本人の心の傷をえぐる映画は、もはや娯楽の域を超えていると衝撃を受けました。

そして、「ゴジラ」が闊歩するルートにも背景があり(「あると言われている」と言った方が正しいかもしれません。既に様々な論文が発表されておりますので今回は説明を省きます)、この映画を通して作品と土地の関係性の虜になりました。

ゴジラ』は一見とっつきにくそうな古い映画のイメージかもしれませんが、まっさらな気持ちで見ても特撮の完成度の高さから十分楽しめますし、時代背景や土地にフォーカスしてみても面白く、色んな角度から見て楽しめる映画なのでオススメです。

 

ここからは作品の感想を交えつつ考察を書いていこうと思います。

まず、「ゴジラ」という存在そのものについて考えます。

映画『ゴジラ』に現れる「ゴジラ」は「水爆実験の影響によって姿を現した古代生物である」と定義されていますが、この定義以外にも「ゴジラ」は様々な特徴や、歴史的事実との関連性を孕んだ存在であると言えます。

本記事では、先行研究を踏まえた上でゴジラに対する自分なりの解釈を加えていきます。

次に、『ゴジラ』のラストシーンで「ゴジラ」を消滅させた芹沢が自ら命を絶つに至った理由を、主要登場人物の一人である尾形と対比しつつ、山根博士の娘である恵美子との関係性や彼女に対する想いを追求した上で考察していきます。

最後に、上記のまとめと今後の展望を述べ、終了とします。

以下、ネタバレを含みまのでご注意くださいませ。

 

 

 (1)ゴジラに対する解釈

まず、「ゴジラ」の名前の由来から紐解いていきます。「ゴジラ」という名前は、大戸島で昔から言い伝えられている「呉爾羅伝説」からとったものだと映画内で語られています。

この伝説は、海の食べ物が無くなると怪物が島に上陸し、牛や人を食い荒らすというものであり、昔は若い娘を生贄にして海に流したと伝えられていますが、今は厄払いのための儀式が残っているのみです。

大戸島に「ゴジラ」が上陸した後、山根博士率いる調査団は、大戸島に被害を加えた原因を探る為、巡視船「しきね」に乗り大戸島を目指します。調査の後、山根博士は国会の公聴会ゴジラを「ジュラ紀から白亜紀にかけて、極めてまれに棲息していた海棲爬虫類から陸上獣類へ進化しようとする中間型の生物」と定義します。これが、ゴジラの生物学的な位置づけです。

 

長山靖生氏は、『ゴジラエヴァンゲリオン』の中で、「ゴジラ」はアメリカ軍がビキニ環礁で水爆実験を行い、日本の漁船・第五福竜丸の乗組員らが被曝し重篤な症状に陥る事件から着想を得て作られた物語だと述べています。

さらに長山氏は、「ゴジラ」は太平洋戦争で多くの日本兵が亡くなった南方からやってくることと、「ゴジラ」が東京を破壊する際、皇居に危害を加えなかったという二つの点から、「ゴジラ」は戦争で亡くなった日本兵という説を提唱しています。

(※上記の「ゴジラ」=日本の英霊説は長山氏以外も述べておりますが、誰が起源なのかは追いきれず孫引きになっている可能性があります、すみません。また、ゴジラシリーズ第25作『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』の作中では「ゴジラ」=日本の英霊説が語られており、これがもともと公式の設定だったのか、はたまた説を逆輸入したのかはよく分かっていない部分でもあります)

また、「ゴジラ」が日本を襲う姿が戦争末期に東京を襲った米軍の空襲や艦砲射撃を彷彿とさせることや、「ゴジラ」の背中についているサンゴ礁のような背びれからビキニ環礁のイメージを基にしていると長山氏は考察しています。

 

一方で、小野俊太郎氏は『ゴジラの精神史』の中で、山根博士の「ゴジラの目に投光器の光を当てるなと指揮官に伝えてくれ」という忠告は、爬虫類の性質をとらえたものであり、これは「ゴジラ」を生物として示すねらいがあると述べています。

また、「ゴジラ」は昼間海中に身を潜め夜に上陸し町を破壊する点と、映画における「ゴジラ」の恐怖は人口的な武器である潜水艦や機雷の形で海の中からやってくる現実の危機が下敷きになっていた点から、「ゴジラ」の襲撃は東京大空襲の記憶と結びつくと論じています。

さらに、「ゴジラ」が二回目に本土上陸した際に破壊されたものは「松坂屋デパート銀座店」、「服部時計店」、「日本劇場」、「国会議事堂」、「テレビ塔」、「勝鬨橋」であり、これら全ては1923年の関東大震災後に建てられたものであったと小野氏は述べています。

 

上記までの引用に加え、1954年版『ゴジラ』では、「ゴジラ」が電車や自動車など、人が長距離を移動するための手段を攻撃する場面が散見されることに気づきました。

これらのことから、「ゴジラ」は復興の象徴とも言える建築物や、新しい文明開化としての乗り物を次々と破壊することによって、日本の発展及び進行を止め、空襲以前の状態に戻そうとしているのではないかと考えました。

 

また、「ゴジラ」が上陸するタイミングに着目して映画を観ることによって、ある共通点を見出しました。その共通点とは、「ゴジラ」は「人間が何かしらの働きかけをした結果現れる」という点です。

ゴジラ」が貨物船「栄光丸」と救助に向かった船を襲った後、大戸島近郊の海で時化が続きました。そのため大戸島では厄払いのための儀式が行われ、その日の夜に「ゴジラ」が大戸島に上陸しました。

また、「ゴジラ」が海中に潜んでいることを知った政府は爆雷攻撃をしますが効果は見られず、その後「ゴジラ」は東京に上陸します。

ここで重要なのは、「ゴジラ」は物理的な働きかけだけではなく、呪術的な、言い換えると精神的な働きかけも察知することができるということです。

これは、戦前の日本兵が現代の日本人以上に、教育勅語軍人勅諭などの精神論的なものに深く傾倒していたこととも結びつけることができ、先人たちの考察同様、やはり「ゴジラ」=戦争で亡くなった日本兵という説は正しいのではないかと思いました。

 

 

 (2)芹沢の自殺の理由 

考察を進める前に、主要登場人物の情報を整理します。

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尾形秀人:海運会社の社員。山根博士の愛娘・恵美子と付き合っている。(尾形を演じた宝田明はその後度々ゴジラシリーズに出演し、ファンを沸かせている)

芹沢大助:山根博士の愛弟子で薬物科学者。戦争で右目を失い眼帯をしている。恵美子の元婚約者。

山根恵美子:山根博士の愛娘。尾形と付き合っているが世間からは芹沢との婚約を噂されている手前、尾形との関係を公にできていない。

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映画のラストシーンで、自らが開発したオキシジェン・デストロイヤー(水中酸素破壊剤)を使い、「ゴジラ」を死滅させた芹沢は、そのまま自分の命も絶ってしまいます。

作中の芹沢の台詞のみに着目すると、芹沢が自ら命を絶った理由は、芹沢が生きているとオキシジェン・デストロイヤーを使った殺人兵器の開発・量産をさせられてしまう可能性が高く、それを避けるためであると読み取ることができます。

これが表向きの理由だとすると、長山氏は芹沢の自殺について遅ればせの特攻であり、芹沢が本土近海で死ぬのは先に死んだ戦友らに対する殉死だったということが物語に隠された本当の理由であったと述べています。

しかし、芹沢が戦争で亡くなった友人について語る場面は作中のどこにも無いため、この論はやや飛躍していると思いました。

ここからは、芹沢と尾形を対比しつつ芹沢が自殺に向かった理由を考察していきます。

 

まず、尾形と芹沢では、自身の中での「ゴジラ」の位置付けが異なります。

尾形は「ゴジラ」を何度も目の当たりにしていたものの、常に気を揉んでいることは「ゴジラ」の出現よりも、自分と恵美子の結婚についてのように見受けられます。

つまり、尾形にとって「ゴジラ」そのものが悩みの種ではなく、あくまでも「ゴジラ」は「出現によって自分のプライベートを邪魔する存在」、という位置付けです。

一方、科学者である芹沢にとって「ゴジラ」は0か100かの位置付けで、その間は存在しません。山根博士に声をかけられる程度のことはあるかもしれないが、上手くやり過ごせば「ゴジラ」に一切関与しないことも可能。自分が開発したオキシジェン・デストロイヤーを使用し殲滅も可能という立ち位置です。

また、加藤典洋氏は『さようなら、ゴジラたち』の中で、オキシジェン・デストロイヤーを使って「ゴジラ」を倒しに行く場面で、尾形は鉢巻を漁師がやるあんちゃん巻きのようにしており、芹沢は鉢巻が特攻隊の巻き方になっていたと指摘しています。

(これは劇中でしっかり確認され、手の込んだ演出だと感じました。このような表現方法から登場人物の心境を垣間見せられるのは映画ならではの面白さだと思います。)

 

このことからも、「ゴジラ」に命がけで挑んだ芹沢と、あくまでも仕事の一環として「ゴジラ」を倒すことに関わった尾形との意識の差が読み取れます。

もちろん、オキシジェン・デストロイヤーという武器を開発したのは芹沢ですので、「ゴジラ」に対し直接的に手を下すことは芹沢にしかできません。そのため、意識の差があることは当然のこととも言えるかもしれません。

しかし、尾形は最後まで「ゴジラ」をいずれ過ぎ行く天災のように捉えていたことも否定できません。作中で芹沢は、オキシジェン・デストロイヤーを完全な形で作用させるため海に潜ると言います。それに対し、尾形は素人一人で海には潜らせられないと言い、芹沢をアシストする形で海に入ります。つまり、尾形は芹沢が海に入ると言わなければ、「ゴジラ」のいる海には入らなかったとも言えます。尾形は芹沢と共に生きて沖に上がれると信じて疑っていないような立ち振る舞いですし、ラストシーンで「ゴジラ」が苦しんでいる姿を恵美子と抱き合いながら見つめる姿は非常に象徴的であると感じます。

 

また、芹沢と恵美子との関係性、芹沢の恵美子への想いも見落とせないポイントです。

芹沢は恵美子に対し、「僕の命がけの研究」と前置きした上でオキシジェン・デストロイヤーの実験を見せ、秘密を共有します。しかし、恵美子は良心の呵責からオキシジェン・デストロイヤーのことを尾形に打ち明けます。

また、芹沢は「オキシジェン・デストロイヤーが社会の役に立つようになるまでは絶対公表しない」と言ったものの、恵美子と尾形の説得に根負けし、オキシジェン・デストロイヤーを「ゴジラ」の殲滅に使用することを承諾します。

芹沢と恵美子の婚約は過去に破談となったようですが、少なくとも芹沢の中には恵美子を諦めきれない気持ちがあったように思われます。

しかし芹沢は戦争で右目を失明、眼帯付近は皮膚が焼けただれ醜い容姿となり、残されたのは薄暗い地下の研究室と世界を滅亡に導きかねない殺人兵器のみという状態。対する尾形は恵美子の現婚約者、健康体で快活に地上で働く、容姿が整った好青年。どう転んでも芹沢が尾形に勝てる要素はありません。

芹沢は恵美子に自分の秘密を共有し、恵美子との絆を試すようなことをしますが、結局恵美子は尾形に打ち明けます。そして、オキシジェン・デストロイヤーを「ゴジラ」の殲滅に使用することを決め、尾形と恵美子に対し「君たちの勝利だ」と言います。

この瞬間、芹沢は「命がけ研究」と恵美子の二つを同時に失うことが決定的になりました。

芹沢にとっての「命がけの研究」、言い換えれば自身のアイデンティティーの喪失と、最後の望みをかけた恵美子の喪失より自ら死を選んだのではないでしょうか。

 

 

 まとめ

本記事では、ゴジラに対する自分なりの解釈と、芹沢が自殺した理由について考察しました。

ゴジラ」についての解釈は様々なものが存在しますが、1954年版『ゴジラ』に登場する「ゴジラ」は、戦後9年という点や、論の中で述べた物理的・精神的な働きかけに敏感であるという点から、やはり戦争で亡くなった日本兵のメタファーであろうと思います。

また、芹沢の自殺の原因は恵美子が深く関わっていると結論づけましたが、今回の考察では登場人物の関係性を中心に論じてしまったため、歴史的な観点(戦後日本での失明者の立ち位置)や芹沢の諸外国との関わりをより深く読み解くと、また異なった結論を導き出すことができたかもしれません。

自分で書きながら何ですが、かなり芹沢に気持ちを入れながら書いてしまいました。

もう少しフラットな視点で論じられるようになることが今後の課題であります。

 

1954年版『ゴジラ』は戦争の記憶を呼び起こす内容であり、一見復興したと見えるものも簡単に滅んでしまう可能性があるということを暗示しているような映画だと思います。

最後に一点残させて頂くと、作中で「ゴジラ」が海に身を潜めていることを知っていながら、大きな船に乗った一般市民が東京近郊の海をナイトクルージングする場面がありました。

この場面は1954年当時の、敗戦という大きな過去傷を忘れ浮かれきっている日本人を揶揄したものであり、『ゴジラ』は、このような日本人の姿勢に対して警鐘を鳴らしたかったのではないでしょうか。

 

 

 最後に・・

この記事は先行研究の引用が多いことからも察しがつくかもしれませんが、大学時代のレポートをリライトしたものです。

自分なりには過去頑張って書いたつもりでしたが、いざ読み返すと穴だらけでリライトにものすごく時間がかかりました。

仕事中もこの記事の辻褄の合わなさや、芹沢への想いが強すぎることへの反省から何度も文章を練り直し、結局記事を投稿してから約2週間後の6月20日にやっと完成に至りました。

こだわりすぎても疲れてしまうので、もう少しサクッと書いてよっぽどのことがなければ修正しなくてもよい状態までもっていきたいと思います。

以上です。

 

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〈参考文献〉

小野俊太郎ゴジラの精神史』(彩流社、2014年)

加藤典洋『さようなら、ゴジラたち』(岩波書店、2010年)

長山靖夫『ゴジラエヴァンゲリオン』(新潮社、2016年)